遊びこそ最高の学びの場

バトル鉛筆が流行っていた頃、オリジナルの鉛筆を作っていた友達に倣って自由帳に設定とイラストを描くのが楽しかった。図工の時間で余った切れ端を持ち帰って飛行機を作ってみたり、流行っているアニメのモンスターをオリジナルで考えることなどは自分の心を満たしていたと思う。

僕の場合の遊びといえばそういう、大人の作った商品を模倣して作ることだった。ごっこ遊びやスポーツも今思えば大人の真似事というのが基本になっているのではないかと思う。ゲームに関しては(課金はやっかいだが)創造力やルールを守る中で攻略するものが多くなってきたので、バランスよく提供していきたいと思う。

僕の幼少期時代はカスタム要素が多いおもちゃ(ミニ四駆やハイパーヨーヨーなど)が多かった。課金しないと領域が拡がらないようなものには手を出さないよう心掛けたいと思う。

学校生活を始める前に考えておくこと

僕は高校の進路選択で一晩寝ずに悩んだ経験がある。目的もなく学力テストは問題のパターンを覚えて解き、自分の得意な剣道を長く続けるためにクラブ活動も行なってきた。進路を突然決めてくださいという題目が書かれた紙を突然配られ、「将来あなたは何になりたいですか?」という投げ掛けが現れた時には、はてどうしたものかと苦しんだ。

その体験から子どもに伝えたいことは、「学校は成績を付けてもらうための第三者機関」という認識を妻と共有している。何人も児童のいる学校で先生が個別に進路を相談してくれる訳はないし、将来なりたいものが学校の中で見つかる訳もない。現代にはネットがあるし、キッザニアなり今は職業体験も充実しているし、会いたい人に会いに行ける時代だと思う。その恩恵と子どもの「好き」の延長にあるものを親が一緒に探して、必要な手立てを伝えてサポートしてあげることが役目ではないかと考えている。

ちなみに僕は小学校の頃の将来の夢は、学校の先生か漫画家。人に勉強を通して大切なことを語る先生がいて、その存在に憧れた。また友達とコミュニケーションするための落書きは、転校した先の学校でも活きていて、自分の存在感を表現するツールのひとつだったので、描いてるうちにそれなりに上達したので、日頃読んでいる漫画の作家のようになれば、先生と同様「大切なことを伝える人」になれると思ったので、勉強とスポーツの合間に励んで描いていた。お小遣いがなかったので外へ出ることはないし、土曜日は剣道で日曜は県を越えた先にある教会へ礼拝という謎な習慣を持つ家だったので、自分の夢の決め手となるようなインプットがまるでなかった。学校の勉強さえそれなりにこなしておけば、成績に応じて自分の進路が適正テスト的に決められるものだと思って過ごしていたので、思い返すと子どもの頃には戻りたくないなぁと憂鬱になるものである。

2人目の育児を迎えて

”一姫二太郎”として、わが子を理想的な流れで授かりました

世間がコロナで大変な中、第二子として男の子を授かった

ウルトラマン好きだった娘でも愛着が湧くことと、

僕と妻の名前に使われている漢字から一字取った

僕は4人兄弟の長男として育った。

下の子が産まれてきたら、初めの子は親からの愛情が

次第に遠く感じる立場になりがちと理解していたので、

長女にはできるだけ同じ想いをさせたくない、と心に決めている

これから先、僕は父親として何を伝えていけるだろうと漠然と疑問に思ったので

情報の整理とアウトプットも兼ねて、ここに積み上げていければと考えている