赤子vs.子犬

「ボスベイビー」を観たことがあるだろうか。

歳を取らない子犬をはびこらせ、赤ちゃんの人気を奪おうとする敵の思惑を防ぐことを課せられた赤ちゃんというなんとも言えない設定。

僕も高校時代の終わりに、母親が犬を衝動買いしてきたことがあるが、病気の世話やなつかせ方など、飼育方法そっちのけで購入させるほどの衝動があるワンコ。

最近は子供ができない家だったり、そもそも子どもを作る気がない家庭で飼われるケースが多いが、その穴埋めがなぜ“ペット”なのか?

一着2,000円以上する洋服を着せ替え、買い替えのトイレを喜んで取り替え、高めのペットフードにこだわり、頻繁に起こる病気のために病院へ心配そうな顔で送迎する。今改めて実家の風景を思い出すと、あれはただの「終わらない育児」だと思う。

観葉植物を育てるのとペットを飼うことは似ている。養分を与えて病気しないよう見守ることだ。現代でこそ育児への関心が高まっての考えかもしれないが、「人として育てる」ということの中にはその年代への適応方法やそれまでの文化知識の引き継ぎ、自分達のルーツの3つくらいは話をして伝えたいと思っている。

男は稼いでナンボの時代もあったろうが、子どもに掛けたお金に親の愛情やこれまでの人生の情報が乗っかっているわけではない。いつの時代も考えて答えを探せる存在になれるよう、わが子を育てていきたいと思う。

というのを自分の親に訴えたいと思うのであった!

遊びこそ最高の学びの場

バトル鉛筆が流行っていた頃、オリジナルの鉛筆を作っていた友達に倣って自由帳に設定とイラストを描くのが楽しかった。図工の時間で余った切れ端を持ち帰って飛行機を作ってみたり、流行っているアニメのモンスターをオリジナルで考えることなどは自分の心を満たしていたと思う。

僕の場合の遊びといえばそういう、大人の作った商品を模倣して作ることだった。ごっこ遊びやスポーツも今思えば大人の真似事というのが基本になっているのではないかと思う。ゲームに関しては(課金はやっかいだが)創造力やルールを守る中で攻略するものが多くなってきたので、バランスよく提供していきたいと思う。

僕の幼少期時代はカスタム要素が多いおもちゃ(ミニ四駆やハイパーヨーヨーなど)が多かった。課金しないと領域が拡がらないようなものには手を出さないよう心掛けたいと思う。

学校生活を始める前に考えておくこと

僕は高校の進路選択で一晩寝ずに悩んだ経験がある。目的もなく学力テストは問題のパターンを覚えて解き、自分の得意な剣道を長く続けるためにクラブ活動も行なってきた。進路を突然決めてくださいという題目が書かれた紙を突然配られ、「将来あなたは何になりたいですか?」という投げ掛けが現れた時には、はてどうしたものかと苦しんだ。

その体験から子どもに伝えたいことは、「学校は成績を付けてもらうための第三者機関」という認識を妻と共有している。何人も児童のいる学校で先生が個別に進路を相談してくれる訳はないし、将来なりたいものが学校の中で見つかる訳もない。現代にはネットがあるし、キッザニアなり今は職業体験も充実しているし、会いたい人に会いに行ける時代だと思う。その恩恵と子どもの「好き」の延長にあるものを親が一緒に探して、必要な手立てを伝えてサポートしてあげることが役目ではないかと考えている。

ちなみに僕は小学校の頃の将来の夢は、学校の先生か漫画家。人に勉強を通して大切なことを語る先生がいて、その存在に憧れた。また友達とコミュニケーションするための落書きは、転校した先の学校でも活きていて、自分の存在感を表現するツールのひとつだったので、描いてるうちにそれなりに上達したので、日頃読んでいる漫画の作家のようになれば、先生と同様「大切なことを伝える人」になれると思ったので、勉強とスポーツの合間に励んで描いていた。お小遣いがなかったので外へ出ることはないし、土曜日は剣道で日曜は県を越えた先にある教会へ礼拝という謎な習慣を持つ家だったので、自分の夢の決め手となるようなインプットがまるでなかった。学校の勉強さえそれなりにこなしておけば、成績に応じて自分の進路が適正テスト的に決められるものだと思って過ごしていたので、思い返すと子どもの頃には戻りたくないなぁと憂鬱になるものである。

豊かな人生とは何か

疑問に思うことをGoogleに打つとその題目の本が出てくるのが最近面白い

「豊かな人生を歩んで欲しい」とは誰でもよく言いますが、そもそも「豊かさ」とは”失われず無くならない状態”のことです

人によってはグルメだったり、野球観戦だったり、芸術鑑賞だったり、気の合う人との他愛もないおしゃべりだったり。自分が幸せを感じるものが人生から失われずに感じ続けられる日々こそ「豊かな人生」と言えます

幸せを感じる価値観はどこから来るのか?という疑問があったので、図書館のお姉さんにふと相談したところ、それは人生観が根元にあるということでした

「友達を大事にしなさい」「弱い人をいじめない」「命を大事にしなさい」など、各家庭での教えはきっと代々、その親が受け継いできた人生観で家庭の価値観が作られているんだろうと思います。そんなことを思うと、親が子どもを躾けることは価値観を学ばせているとも言えるんですね

他にも、今後子どもたちの選んでいく「好き」を大事に、なぜそれが好きなのかなどを気づかせてあげることで豊かさを感じられるように心がけたいと思います

人生の最期に悔やむこと25

人生を豊かに生きる上で、まず終わり(目的・ゴール)を思い描くことが重要

今回は「死ぬときに後悔すること25」から、自分なりに響いたやるべきこと・しないことをまとめます

(健康•医療編)

1.健康を大切にしなかったこと

2.たばこをやめなかったこと

3.生前の意志を示さなかったこと

4.治療の意味を見失ってしまったこと

健康情報を鵜呑みにせず、たばこなど明確に害悪なものを理解する。健康なうちに健康についた考え、最後の時のことを家族に話しておく。ただ生きることが目的の健康ではなく、目的を持って人生を歩むこと

(心理編)

5.自分のやりたいことをやらなかったこと

6.夢をかなえられなかったこと

7.悪事に手を染めらこと

8.感情に振り回された一生を過ごしたこと

9.他人に優しくしなかったこと

10.自分が一番と信じて疑わなかったこと

短い人生の中で、自分に嘘をつかない。「耐えるだけの人生」に美徳はない。一つのことを長く続け、いくつ夢を叶えられるかを意識する。夢のない人生は命を消費しているだけだ。また感情に流され小事で心を揺るがせないように。優しさを行うのは難しいが、それを行わなかった事を後悔しないようにするべき。とは言え、孔子の言葉では人の言葉を素直に受け入れるようになるのは80歳以上。客観的に、一歩引いて考える習慣が必要だ。

メモ:孔子「耳順」について

「子曰く、吾れ、十有五西て学に志す。三十にして立つ(独立)。四十にして惑わず。五十にして天命を知る(人間の力を超えた運命)。六十にして耳従う。」平均寿命が短かった時代なので、現代だともう少し上?

(社会•生活編)

11.遺産をどうするかを決めなかったこと

12.自分の葬儀を考えなかったこと

13.故郷に帰らなかったこと

14.美味しいものを食べておかなかったこと

15.仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと

16.生きたい場所に旅行しなかったこと

遺産は少なくても分配の方法を考えておく。葬儀は地味で、と考えていても親族としてはそうはいかない点もある。負担をかけないようにするには自身で家族のために葬儀を準備する発想も。また死期が迫ると食欲が消えるので、美味しいものは食欲があるときに食べておく事。仕事だけをして生きてきた人はというと、仕事が悪いという事ではなく、仕事ができなくなった時の辛さを他に逃がすための手段として、趣味を若いうちから鍛えておくべきだという。

メモ:死期が迫ると現れる「せん妄」について

亡くなる1週間前から(人によってはもっと前から)せん妄という混乱が生じる事がある。時間や場所の感覚が曖昧になり、周囲からボケたように見える状態。多くの人が現状の認識が困難になる事がある

(人間編)

17.会いたい人に会っておかなかったこと

18.記憶に残る恋愛をしなかったこと

19.結婚をしなかったこと

20.子どもを育てなかったこと

21.子どもを結婚させなかったこと

僕の中学の友人は27歳で死んだ。理想の恋人や結婚について話したかったが一生叶わなかったので、思い立ったら吉日で行動するべき。また恋は生身でなくても、ディスプレイの向こうの存在でもかまわないので、情熱を注ぐ恋を行った方が後悔しないケースが多いという。結婚は最後は「形」として残したいと思うになるし、死出への安心感が大きな力となるかもしれない。また親子において、血縁者という間柄は他人としての間柄を超えるものがあるという。子度も愛情が深すぎるあまり、子どもを独り立ちさせずかくまってしまうと、いざ結婚に向かわせたときに難しくなってしまうので愛のムチで持ってバランスよく育てる必要がある。

(宗教•哲学編)

22.自分の生きた証を残さなかったこと

23.生と死の問題を乗り越えられなかったこと

24.神仏の教えを知らなかったこと

25.愛する人に「ありがとう」を伝えなかったこと

自分の生きた証を残したいというのは多くの人が思う希望。人生は自分の作品なので、残せる若いうちから十分考えておく必要がある。女性の場合、子どもを残して受け継がれた命を感じることはできるが、男性の場合難しい。多いケースとしては家族に自分の生きてきた歩みを手紙に残すことだという。メール全盛期の時代だからこそ、肉筆の手紙というのは、書いた人をこの世にとどめている形になり得る。また生と死にはそれぞれ意味がある。無意味な生と無意味な死は存在しないと信じなければ、死は大きな恐怖になる。世の中には苦悩と幸せがあり、その意味を考える中に哲学がある。「人は考える葦である」という言葉通り、考えることはつらい作業だが、人は考えることを運命づけられているのではないか。自分の目で考えることが一番大事である。

2人目の育児を迎えて

”一姫二太郎”として、わが子を理想的な流れで授かりました

世間がコロナで大変な中、第二子として男の子を授かった

ウルトラマン好きだった娘でも愛着が湧くことと、

僕と妻の名前に使われている漢字から一字取った

僕は4人兄弟の長男として育った。

下の子が産まれてきたら、初めの子は親からの愛情が

次第に遠く感じる立場になりがちと理解していたので、

長女にはできるだけ同じ想いをさせたくない、と心に決めている

これから先、僕は父親として何を伝えていけるだろうと漠然と疑問に思ったので

情報の整理とアウトプットも兼ねて、ここに積み上げていければと考えている